真弓神社は大同二年(807)の創立で、御祭神は大己貴命(おおなむちのむこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)。坂上田村麻呂、大伴乙麻呂が北征の日に八所権現を斎祀。堀河天皇在位中の寛治年間(1087-1094)に、源義家がこの神に戦勝祈願し、陸奥を平定して凱旋のおり、弓八張を奉納したことから、真弓八所権現と呼ぶようになった。(天明2年罹災古記を失う)
以来、武門の神として崇敬をあつめ、佐竹氏が社殿を造営。また水戸藩主徳川光圀公は山王大権現の称号を贈り、真弓山が水戸城の鬼門にあたるので、神徳を崇敬して二十余村の大鎮守とし、春季大例祭には歴代の水戸藩主は御連枝(分家)の殿様を代参させたといわれている。明治元年十二月に社号を真弓神社と改め、農業、漁業関係者に深い崇敬層をもっている。
縁起 徳川斎昭公弘道館記碑を作る時、当山の大理石を使用する事にしたが真弓山の「大理石」は「お留山」であった
烈公は、和歌「武士の引立様と曵く石を真弓の神のいかで惜まむ」「我が国の道をひろむる石なれば真弓の神の祟りあるまじ」の二首を白扇に書し、大前に祈願した。
天明3年宮司宅地内に分社(里宮)を創建。明治元年12月社号を真弓神社とする。昭和19年東久邇宮盛厚殿下御参拝
神社の御本殿近くに祀られるお宮と神社所有地に御祭神又地域所縁の神様を祀るお社
竃殿神社(澳津彦命)、琴平神社(金山彦命)、阿夫利神社(石礙度売命)、厳島神社(市杵島姫命)、 稲荷神社(倉稲魂命)、八幡神社(誉田別命)、秋葉神社(軻遇突知命)、大杉神社(猿田彦命)、 天満宮(菅原道真公)、二十一社(二十一神) 冨士神社(木華開耶姫命) お富士権現様・神門付近の高い所に祀られている 稲荷神社(倉稲魂命)神門付近の高い所に祀られている お不動様西参道の湧き出る川付近に祀られている 厳島神社(市杵島姫命・弁天様)字弁天の湧き出る川付近に祀られている
真弓神社にゆかりの深い真弓馬の授与品。源義家公が奥州征伐の際、真弓神社に戦勝を祈念したところ勝利し、神馬と弓を献納したと伝えられています。そのことに目を付けた徳川光圀公が、農閑期の副業として考案したものです。神社近くの農家により作られ、境内で盛んに売られていました。はじめの頃は奉納されていましたが、そのうちおもちゃとして持ち帰られるようになりました。お神札、お守りの他に参拝者に向けた授与品とされている。